山歩きを始めると、よく見聞きするのが”百名山”ですね。百名山をテーマにした書籍やテレビ番組もたくさんあります。でも、この百名山、意外にアンチの人もいます。
といったことを踏まえて、そもそも百名山とは何か、人気の理由とアンチの人の意見、そして実はたくさんある〇〇百名山といったことを書いてみました。
※タイトル写真は、槍ヶ岳の山頂から見た北アルプス中部から北部の山々。北アルプスには日本百名山が15座あって、この写真には6座が写っています。
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元祖は、深田久弥の『日本百名山』
いわゆる百名山とは、深田久弥(ふかだ きゅうや)という人が書いた『日本百名山』という本が原点で、この本で紹介された100座の山が日本百名山とされています。深田さんが選んだ百名山なので、ほかの百名山(この記事の最後に記述)と区別するために「深田百名山」と呼ぶこともあります。
書籍版の『日本百名山』の元になったのは、1959年(昭和34年)から1963年(昭和38年)にかけて『山と高原』という雑誌(今は廃刊)に連載された「日本百名山」という記事でした。
最近は減りましたが、以前は雑誌に連載された記事を単行本にすることが普通に行われていました。『日本百名山』もそうした経緯で生まれた書籍のひとつで、単行本の初版は1964年(昭和39年)です。
著者の深田久弥さんは、1903年(明治36年)に現在の石川県加賀市に生まれました。そして、現在の東京大学に進学して小説家になった人です。肩書として「作家で登山家の~」といわれることが多いのですが、『日本百名山』以外の著書はあまり知られていません。私も、山に関する著作が他に何冊かあることは知っていましたが、小説や随筆の類は見たことがありませんでした。
そこで改めて経歴を確認したところ、若いころは普通に作家として著作を重ねていたようです。しかし、今ならネットで叩かれそうな不祥事もあって『日本百名山』がヒットするまで業界で干された時期もあったとか。
そんな中、中学生のころから熱心に続けていたのが登山で、その経験が50代に雑誌連載の「日本百名山」で開花。還暦で書籍版の『日本百名山』が出て、後世に名を残しました。
没年は1971年(昭和46年)、山梨県の茅ヶ岳(かやがたけ)を登山中、山頂まであと少しというところで脳卒中で倒れました。そこには「深田久弥 終焉の地」の石碑が建っています。
深田百名山の基準は「いい山」
『日本百名山』は今も買うことができます。私が持っているのは新潮文庫版で初刷りが昭和53年のものです。ただし、昭和39年発売の新潮社版『日本百名山』に掲載された深田さんの後記が収録されています。以下、この新潮文庫版の『日本百名山』に基づいて記事を書いていきます。
『日本百名山』の後記を読むと、戦前に一度、ある雑誌で「日本百名山」という連載を書いたことがあるそうです。しかし25座くらいで雑誌が廃刊。戦後、別の雑誌に改めて連載して完結したのが今も残る『日本百名山』だそうです。
連載は、1回につき2座、つまり50回に及びました。北は北海道の利尻山から南は屋久島の宮之浦岳まで、ちょうど100座が日本の名山として紹介されています。
その100座を知る方法は無数にあるので、ここに改めて記載することは避けたいと思います。確認したい人は、たとえば下記のページを参照してください。
で、半世紀以上前に1人の文筆家によって選定された百名山が今も人気で何かと話題になるのは、やはりその選定に妥当性があったからだと思います。
『日本百名山』の後記にも、上記のWikipediaの解説にも書かれていますが、深田さんは日本百名山を選ぶにあたって、山の品格、山の歴史、個性のある山、という3つの基準を設けています。さらに、おおむね標高1500m以上という基準を加えました。
実際には、標高が1000mに満たない山が2座(筑波山と開聞岳)入っているし、ほぼ山の歴史や文化的な側面で選ばれたような山もあります。それでも妥当性を感じるのは、やはり深田さんが物書き特有の視点でバランスよく選んだからではないでしょうか。
深田さんが選んだ百名山は、いわば「いい山」なのだと思います。この「いい」というのがポイントで、読むと「なるほどな」と思わせるところがあります。
たとえば、「標高が高い山」とか「登頂が難しい山」、あるいは「グレートな山」といった基準で選ぶとラインナップが大きく変わったでしょう。こうした一面的な指標で選定しないで、視野を広く取っているところが深田百名山の魅力のひとつだと思います。
一方で、日本を代表する高山や岩峰、難易度が高い山もガッツリ入っています。そのため、本格的な登山が好きな人も納得できるのが日本百名山の真価でもあります。もちろん、富士山も百名山のひとつです。
『日本百名山』が発刊された後、何度か訪れた登山ブームのなかで、いつしか日本百名山の完登(全山登頂)を目指す人が増えてきました。やはり、日本を代表する名山に登ってみたいと思う人が多いんですね。そして今も、その人気が続いています。
実は、かなり難しい百名山の完登
この原稿を書いている時点で、私はまだ日本百名山を完登していません。ざっくりいって3分の2くらいです。なので、本来なら百名山について語れる立場ではないかもしれません。しかし、それでも60座以上の百名山に登って感じることが増えてきました。
まず、完登するのは簡単ではないということ。交通手段が発達し登山道が整備された今でも、登山口から山頂まで3日かかる山があります。私は東京郊外に住んでいるので地域的に恵まれている方だと思いますが、それでも北海道や九州の山へ行くのは大変です。普通に仕事をしていたら遠方の山へ行く機会は限られます。
今は定年が65歳になってきましたが、少し前まで60歳でした。定年後に本格的に登山を始めて10年で(70歳までに)完登しようとすると毎年平均10座のペースで登る必要があります。「それくらい登れるでしょ」と思う人もいるかもしれませんが、これはかなり大変なことです。
というのも、日本では冬から春にかけて雪に閉ざされる山が多く、普通の人は登ることができません。北アルプスや南アルプスなど主要な山のシーズンは、長くて4月末から11月初め、短いところだと梅雨明けから9月中旬です。
逆に、通年で登れる百名山は数えるほどしかありません。関東近郊だと、筑波山や天城山は一年を通して登れますが、丹沢でも冬は雪山装備が必要です。四国の石鎚山や屋久島の宮之浦岳も、真冬は雪があります。
こうしたなか毎年10座の日本百名山に登るには、登山シーズン中は、それに合わせた生活を送る必要があります。その費用も、かなりのものになるでしょう。しかも、天候が悪くて登山を中止せざるを得ないことがあるので、なかなか予定どおりに進みません。
技術アップしないと登れない山がある
もうひとつは、多様な山が含まれていて、そのすべてに登るのは一筋縄では行かないということ。
私は最初、関東周辺の比較的登りやすい山から始めました。その後、北アルプス南部や南アルプス北部のよく整備されたエリアに行くようになったのですが、それで自信を深めたのが間違いでした。
たとえば、私の自信を挫いた山として平ヶ岳(ひらがたけ)があります。日帰り最難関の百名山といわれ、往復のコースタイムは11時間半。山中に山小屋や避難小屋はなくテント泊も禁止。そのため、1日で登って下りてくる必要があります。歩くペースが遅い私には大きな壁でした。
最初は、昼の時間が長い6月中旬に行ったのですが残雪に阻まれ途中で敗退。時期が早すぎました。その翌年、春先から長距離を歩くトレーニングをして準備を重ねたのですが、コロナ禍でリベンジできず。2022年8月、なんとか山頂まで行って来ることができたのですが、その内容は恥ずかしくて書けません。
これから先も、飯豊連峰や北海道の山々が残っています。たとえば幌尻岳は、通常のルートだと渡渉の繰り返しがあります。となると、沢歩きの装備が必要です。東北の山は営業小屋が少なくて、避難小屋を利用するため食料と寝袋を背負って登ります。体力が必要です。
私にとって幸いなのは、日本百名山の中に本格的なロッククライミングの装備や技術が必要な山がないこと。とはいえ、剱岳には有名なカニのタテバイがあって、ここはほぼ垂直な岩場を鎖を頼りに数十メートル登ります。岩場にも慣れる必要があります。
このように、100座に登るのは簡単ではありません。いろいろな山があるので登山のさまざまな技術が要求されます。日本百名山の完登を目指すことは、自分の登山スキルを高めながら難しいミッションをひとつひとつクリアしていくような感じがします。
だからこそ、完登の喜びも大きいのでしょう。100座を制して目標達成というより、日本の主要な山を一通り体験することの満足感が高いのではないでしょうか。そのため、日本百名山の完登を目指す人が絶えないのかなと思います。
アンチの意見1 選定された山が納得できない
ところが、意外にアンチ百名山の人がいます。実際に、山で「百名山? くだらない!」という人に何度か会ったことがあるし、「まさか、百名山を目指していたりしないですよね(冷笑)」的なことを言われたこともあります。
こうした人は、大きく分けて2タイプあるように思います。まず、1人の文筆家が選んだ100座に賛同できない、あるいは納得できないという人。それと、ピークハント型の登山に批判的な人です。
たとえば、深田さんは第4の基準として「おおむね標高1500m以上」としていますが、前述のように筑波山と開聞岳は1000m以下です。この2座に関しては、それでも百名山に選んだ理由がそれぞれの項に詳しく記されています。
また、よくいわれるのが荒島岳が入っていること。この山は深田さんの故郷に近い山で、一般的な知名度は高くありません。しかし、北陸を代表する山として能郷白山にするか迷った末に荒島岳を日本百名山に入れています。
こうした点を取り上げて、「ほかに百名山に相応しい山があるじゃないか、自分は深田百名山に納得できない」という人がいるわけです。あるいは、他人が決めた100座に捉われたくない、自分が登る山は自分で決めたいという人もいます。
これは当然のことで、深田さんも『日本百名山』の後記に自ら「私の選定には異論もあろう」「私の主観で選定したものだから、これが妥当だと言えないだろう」と書いています。そして、これもよく言われることですが、誰もが自分なりの百名山を選んでいいし、むしろその方がいいかもしれません。
ただ、これも後記に書かれているのですが、百名山を選出するために、深田さんはその数倍の山に登っています。そして、それでも自分が登っていないという不公平な理由で除外した山があること、それらの山に申し訳ないということも書いています。山が多い日本で、日本を代表する100の名山を選ぶのは大変なことです。
ところで、『日本百名山』は英語版も出ています。そして、そのタイトルは”One Hundred Mountains of Japan”です。直訳すると「日本の百の山」で、タイトルに”major”や”great”といった単語は含まれていません。このあたりも、もしかしたら深田さんの、あくまでも個人的に選んだ100の山という意識が反映されているのかもしれません。
そして実際、山が大好きで日本中の山に登っている人が「日本を代表する100の山」を選ぶと、かなりの山が一致するのではないかと思います。深田さんも、70%くらいは問題なく通過したものの、残りの選定に苦労したと書いています。
その様子が後記に正直に記されていて、まさにそこが納得いったりいかなかったり、このあたりも『日本百名山』という本の面白いところです。また、後記を読むと賛同できないまでも理解できる面があるかもしれません。
アンチの意見2 数を追うだけが登山じゃない
もうひとつの、ピークハント型の登山への批判ですが、これは分かる気もするし、ある程度は仕方ない感じもします。ピークハントとは、「とにかく一度、山頂に立てばいい」というスタイルの登山です。たいてい、批判的に使われます。
たとえば、『日本百名山』の中で八ヶ岳はひとつの山として紹介されていますが、実際には南八ヶ岳だけでも最高峰の赤岳のほかに横岳、硫黄岳、阿弥陀岳、権現岳などがあります。さらに北八ヶ岳と呼ばれるエリアがあって、どこまでが八ヶ岳なのか判断が難しいところです。
八ヶ岳に限らず、穂高岳、那須岳、吾妻山、飯豊山、八甲田山、九重山なども同様です。複数の山頂がある山域全体を『日本百名山』ではひとつの山として取り上げているのです。
こうした山は、その最高峰だけ登ればいい、天気も季節も関係なし、とにかく一度、最高地点に立てばOK、次の山を目指すというのがピークハント型の登山です。しかも、そうした人の中には登った山の数を競ったり自慢する人がいます。
あるいは複数の山頂があって、百名山として取り上げられている山名と実際の最高峰が異なることがあります。こうなると、何をもってピークをハントしたことになるのかという問題が出てきます。
たとえば丹沢の場合、主峰は丹沢山とされていますが最高峰は蛭ヶ岳です。飯豊連峰も、主峰は飯豊山ですが最高峰は大日岳です。つまり、丹沢山や飯豊山に登っただけでは、その山域の最高地点に到達したことになりません。
立山も同様です。富山側から入って室堂平に立つと、立山はそびえ立つ屏風のように見えます。台形の山頂部には、右から雄山、大汝山、富士ノ折立という3つのピークがあります。
主峰は雄山とされていますが、最高峰は中央の大汝山です。ところが雄山から先、大汝山まで行く人はグッと減ります。観光ならともかく、登山として立山に登る場合、大汝山まで行かずして立山を完登したといえるでしょうか。
吾妻山も大きな山群で、最高峰は西吾妻山ですが、深田さん自身も「茫洋としたつかみどころのない山」「人はよく吾妻山に行ってきたというが、それは大ていこの山群のほんの一部に過ぎない」と書いています。
あるいは、こういう例もあります。深田さんは『日本百名山』の霧ヶ峰の項で、「山には、登る山と遊ぶ山とがある」として、遊ぶ山の代表として霧ヶ峰をあげています。
実際、深田さんは霧ヶ峰で一夏を過ごし、その高原状の山域のすみずみまで逍遥を楽しんだそうです。その様子は『日本百名山』の霧ヶ峰の項に詳しく書かれていますが、最後の一文が印象的で私は大好きです。
霧ヶ峰にも複数のピークがあって、最高峰は車山です。今は、ビーナスライン(観光道路)の駐車場から徒歩45分で山頂に至ることができます。スキー場のリフトを使えば10分かかりません。しかし、これで登了としたら深田さんが霧ヶ峰を百名山に加えた意味を理解するのは難しいでしょう。
山が好きな人は、お気に入りの山域を繰り返し歩いている人が少なくありません。ルートを変えて、季節を変えて、何度も通うことでその山の魅力を深く知ることができます。何度行っても、山は違う表情を見せてくれるし、別の味わいがあります。
そういった楽しみを知っている人から見ると、ピークハント型の登山はつまみ食いのような感じがして、山の本当の良さを理解していないと思うのかもしれません。これはこれで、とても共感します。
一方で、前述のように日本百名山を完登するには1座1座の登山の質にこだわっていられない現実もあります。たとえば、毎年5座ずつ登っても20年、3座ずつだと30年以上かかります。完登を優先すると同じ山をじっくり味わうのは難しいでしょう。
それに、いい山は百名山だけではありません。二百名山や三百名山の中にも、あるいは三百名山に漏れた山にも、素通りできない魅力的な山があります。となると、いろいろな山に登ってみたい人は質より数を優先した山歩きも仕方ないのかなとも思います。
まさに私自身が、そのジレンマを感じているので。
まとめ
ここまで、深田久弥の著書『日本百名山』を軸に書き進めてきました。『日本百名山』に収録された100の山が、日本百名山(深田百名山)として多くの人に支持されて今も登られています。
前述のように、私はまだ完登していません。しかし、約3分の2の日本百名山に登って今の段階で思うのは、深田さんが選んだ百名山が「良い」とか「悪い」とか、そういう評価をするのは全山を踏破してからにしたいということ。まずは、すべて登ってみようと。
とはいえ、今のペースだと完登は難しそうな気がします。なので、私が深田百名山の善し悪しを評価するときは来ないでしょう。これは、むしろ幸いかもしれません。
日本百名山が好きな人も嫌いな人も、どちらも山が好きな人だと思います。百名山が好きで完登を目指すのもいいし、そういうのが好きでない人は自分の基準で自分が好きな山に登ればいいと思います。
ただ、どちらの人でも、今も多くの人に語り継がれる『日本百名山』を手元に置いて、少しずつ読んでみると必ずや新しい発見があると思います。よく行く山の意外な一面を知ることがあるかもしれませんし、これまで関心がなかった山に急に行ってみたくなったりするかもしれません。
この本は、巻頭から通読するタイプの本ではないと思います。私は主に、次に行く山だけ読んだり、行ってきた山の振り返りのために読んだりしています。そのため、まだ読んでいない項もあります。それでいいんじゃないかと思っています。
それと、何といっても面白いのが後記です。山に詳しい人なら読んで納得の本音話がポロポロ出てくるし、深田さんの人柄も伝わってきます。アンチ百名山の人も、少し気持ちが動くかもしれません。
おまけ:その他の〇〇百名山
日本百名山の他にも、○○百名山と呼ばれるものがあります。最後に、これらについて簡単に記しておきます。
日本三百名山:1978年(昭和53年)、日本山岳会が日本百名山(深田百名山)に200座を加えて300座にしたもの。二百名山より先に、三百名山が選定されている。深田久弥は20代で日本山岳会に入会し、晩年は副会長を務めた。
日本二百名山:1984年(昭和59年)に「深田クラブ」が、日本山岳会が追加した200座から100座を選んで二百名山としたもの。深田クラブは、深田久弥および深田百名山のファンクラブのような組織。実際には99座を選んで新たに荒沢岳を入れたので、百名山、二百名山、三百名山を合計すると301座になる。二百名山には、深田久弥が迷った末に百名山から外した山や最期まで登れなかった山が入っている。また、登山道が整備されていないなど百名山より登頂が難しい山が多い。
花の百名山:作家・田中澄江の著書。各山に、その山を代表する花を設定して100座を選んだもの。選定基準が異なるため、深田百名山に入っていない山や低山が数多く含まれている。後年、新たに選び直した『新・花の百名山』も出版されている。
各地の百名山:北海道百名山、東北百名山、関東百名山、信州百名山、山梨百名山、関西百名山、中国百名山、四国百名山、九州百名山などがある。その地域の任意団体が選定したものもあるが、出版社や新聞社が選定して書籍化したものが多い。
日本百高山:国土地理院発行の日本の山岳標高一覧に基づいて標高の高い順にリストアップされた100座。アンチ百名山のなかには、百名山は嫌いだけど百高山は目指すという人もいる。
長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また。
by しもさん